「いのちの石碑プロジェクト」は、311で被災した女川町の,中学校の入学式を間近に控えた当時小学校六年生だった
生徒達が中心となり、3年間考え、実行したプロジェクトです。
それは、女川町内の21の行政区に1つずつ「いのちの石碑」を建立し、千年先まで今回の悲劇を伝承し、将来の人々
の命を守る礎としようというものです。詳しくは上のリンクから,プロジェクトのホームページを訪問して下さい。
私達女川桜守りの会は,このプロジェクトに共鳴し、その石碑一つ一つに大漁桜を植栽することにしました。
この桜によって,石碑がより一層地区の人々に親しまれるようになり、また万一の時には避難の目標となる役割も果たし
てくれるだろうという願いを込めたのです。また、春に咲き誇る大漁桜は、鎮魂と希望のシンボルともなると思うのです。
第一号碑は,女川中学校校舎前の広場に建立されました。石碑からは工事中の街の中心部が見下ろせます。
あの日、生徒達はこの場所の前を通って総合体育館へ避難しました。男子生徒達がブルーシートを掲げ、津波の惨状を女生徒たちに見せないよう、先生達の指示で整然と避難していったのです。
中心となったプロジェクトの面々と除幕式
この石碑のデザインや文面は中学生達が自ら討論し決めたものです。
いのちの石碑の碑文です。裏面には町にたくさんの
中国人研修生が来ているため、中国語で同じ文面が
刻んであります。
一号碑の脇には,桜守りの会によって「大漁桜」(5年生)
が植樹されました。
いのちの石碑と共に植樹される予定の21本の「大漁桜」は
日本航空株式会社(JAL)の
協賛をいただき、苗木代、
及び管理費のご協力をして頂け
ることになりました。
この場を借りて,お礼申し上げます。
2号碑は竹ノ浦、3号碑は宮ヶ崎と既に設置されました。
竹ノ浦の浜を見下ろす神社の境内に建立された3号碑。
この神社に上がる階段の、この高さより3段下の階段まで
津波が押し寄せた跡が残っています。
3号碑は街中で、女川湾の北側に位置する、宮ヶ崎。
かなり急な崖の上に立っている神社の境内です。
目の下には,かつては魚市場があり、多数のトラックが
出入りし、漁船の入港を告げるサイレンや、入札の開始
を案内するアナウンスなど,賑やかな場所でした。
3号碑については、かなり狭い境内で、すでにソメイ2
本、枝垂れ2本が植えられていますので,大漁桜については、
現在近くの場所を選定中です。
4号碑以後、指浜、御前浜、尾浦、桐ヶ崎、鷲の神浜、小乗、高白浜、横浦、野の浜、飯子浜、塚浜、小屋取浜、女川浜、浦宿浜、針の浜、大沢、沢田 と候補がありますが、可能となった場所から石碑の設置、大漁桜の植樹を行う予定です。逐次,報告いたします。