私達の町女川にはたくさんの桜の樹がありました。かなりの樹齢の大木から若い木まで。町の花も「桜」でした。
 中でも、駅裏の旧第二保育所の園庭にあった桜は、かつては第一小学校の分校の校庭であり、保育所のあとは
通所施設 ウミネコ園の園庭となり、ウミネコ園移転後は町の駐車場となりましたが,桜は大事に保護され,その
下では地区の人々が,ゲートボール、ペタンクなどを楽しむ憩いの場となり、子供からお年寄りまで,たくさん
の人々を見守ってきた桜でした。
二保の桜 町役場 白山神社
☆旧第二保育所の園庭の桜     ☆町役場前の広場         ☆白山神社

海岸前広場  オフサイトセンター 清水町
☆海岸広場            ☆原子力オフサイトセンター    ☆清水町平塚商店脇

このほかにも、女川第二小学校清水階段側から日蕨へ続く道路の脇にはすばらし桜の並木や海岸前広場を飾る
桜。桜ヶ丘という地名にふさわしい桜の大木が並んだ地区・・・ 町内の至る所に「桜」がありました。
しかし、 津波到達点以下にあった桜は、すべて、あの津波で根こそぎ海へ持って行かれました。

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しかし、旧第二保育所の園庭跡にあった2本の桜は、上部の2/3を津波に引きちぎられ、さらわれながら、残った
幹に芽を出し.可憐な3輪の花をつけたのです。
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 どれだけみんな驚いたことか,そして喜んだことか 。なんとか、この桜を守りたい! すぐに、各方面に手配をして、日本花の会の樹木医さんに来ていただけることになり、このとき女川桜守りの会が結成されました 。
 樹木医さんの手によっていたんだ部分を取り除き、薬を塗り、手厚く保護の段取りをしました。あとは、桜の生命力に期待して。

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いつの間にか津波桜と呼ばれていましたが
高校生などの若者達が、「さくらたん」と
名前をつけ、頑張れと声援を送りました。
 桜は、つぎつぎと新芽を出し枝を伸ばそ
うとしました。
 しかし、大地はたっぷりと海水を吸いこ
んでいて、夏の猛烈な日差しが容赦なく桜
を痛めつけました。

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夏が終わり、秋が来たときとうとう枝葉は一つも残りませんでした。翌年、新芽を出すのを期待して待ちましたが
とうとう、樹木医さんにより、枯死が宣告され、茸が生えてきたりしているため伐倒することになりました。
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桜守りの会会長の手でねぎらいと感謝の御神酒を注ぎ、伐倒。みなを元気づけ励ましてくれてありがとう。
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2本の桜が立っていた場所には、市街地整備の盛り土が始まるまで皆さんの目に楽しんでもらおうと、支援の方々から頂いた花を植えて花壇としました。
 また、伐倒した津波桜からは、継ぎ芽をした後継樹が根を張って、育ちつつあります。
 まもなくみんなの前に若々しい姿で戻ってと来ることでしょう。